第3村からの切符

いつぞやの日記

第3村に行ってきました。(だい〜ぶ前です)

シン・エヴァンゲリオン第3村のモデル、静岡の天竜浜名湖鉄道 天浜線 天竜二俣駅が、この期間限定で完全第3村仕様に。

転車台ツアー見学もしてきました◎

この看板、シンエヴァにそのまま出てきました。映画館でシンエヴァ1回目を観ていた時に、この看板を見て『あ!!もしや天浜線?!』と なりました。

そのままですやん

ノスタルジックで美しい駅

天浜線道中の田園風景も美しい〜

『大粒の泪』@京都と 『ビバアコーディオン』@大阪 の関西ツーデイズ日記

◆6/11(土) CV-GATE京都@大粒の泪

足元の悪い中お越しいただきありがとうございました!森田さん、企画に呼んでいただきありがとうございました!

2o2・森田さん・加納さんのトリオ

お久しぶりのEVE、初めての大粒の泪、再会の数々も嬉しかったです。そしてやはりインプロ面白いなぁー。

こちらはベースの伊織氏と、インストと歌を混ぜて。今回も今歌いたい歌を。(今後また精進していきます。) 数年前に喘息がひどくなって以降 息が続かなくてへろへろ声になっていたけど、ライブ直前に喘息発作用の吸入をしたら声が自然に出ることがわかりました。今さらの気付き。

◇だいぶ早めに京都に着いたので楽器を四条烏丸のロッカーに入れてふらふらと時間を潰す。伊織氏のベースアンプは大きすぎでロッカーに入らず!引きずって歩き回る… 明倫小学校やらココンやら座れそうなところですかさず座りながら。

コロナ禍に京都を離れたのもあり、人出が戻りつつある京都の街の賑わいを久々に感じました。

雨の中大きい楽器(14kg)を背負って15分ほど歩くとめちゃくちゃ肩や体背面全体が痛くなり…重たいアコーディオンをされている全ての方に尊敬と同情の念を抱く…

そしてライブ後、英男さんに大変お世話なり終電ギリギリ間に合った十三のビジネスホテル、これまた激安にも関わらず充分すぎる設備!十三楽しいー。

◆6/12(日)

3年ぶりのビバアコーディオン@松原市文化会館もとても楽しかったです。 ふだん部屋でこそこそアコ活動している気分ですが、いろんな繋がりがあるからこそアコーディオンを続けられているのかもなあとしみじみ思いました。胸熱でした。

今年はいつもより規模が小さめ、それでも出演者総数100名ほど!アコ仲間と久しぶりに会い、私の師匠レジェンド吉田先生ともお会いできました、お元気そうで良かったです。

この会が末永く続いてほしいなと思いつつも、こんなに大きな会を企画運営されるのは本当にたいへんなことだとも思うので、参加できてとてもありがたかったです。

普通に毎年あるものだと思っていたけど、昨年一昨年はコロナ感染拡大で中止になり、今後を考えると、この一回がとても貴重で大切な機会なんだなとしみじみ感じました◎

◇大病を患い闘病中の仲間との再会、そして彼女が私の編曲した『いのちの名前』を、私が弾くより断然、一音一音とても丁寧に演奏してくださって、むちゃくちゃ感動しました。込み上げるものがありました。

元々かぜのと(アコーディオンデュオ)で演奏するためにフリーベース二重奏で編曲していた”いのちの名前”を今回演奏してくださるということで、急遽スタンダードベース二重奏に作り直しました。彼女たちに演奏してもらえて良かった…

こちらは独奏と重奏で参加、伊織氏との重奏では初ビバアコでした(パパガイオスという秒決めのデュオ名で)。 独奏でレジスターうっかり!もありましたが( ; ; )、ホールでやる機会なんてなかなかないことだし、楽しみました。音響も心地よかったです。

あと、京阪アコリーダーさんがフォホー(ブラジルの音楽)のバンドをされているらしく、興味津々で色々教えてもらいました。私は今回ブラジルのシヴーカの曲をしたけど、ここ5年ほど家でもだいたいフォホーばっかり聴いているので〜。

そして小さいアコーディオンを手にしたばかりの頃からのアコ仲間、エンジンズ柳本さんとの再会もとても嬉しかったです。

◇ビバアコから帰る先が京都でなく川崎なのはまだ不思議な気持ち。

関西帰還ライブ日記 ”魚醤かけすぎなにわのルーティーン” と、その翌日の京都日記

◆5/1 魚醤かけすぎイベント@難波ベアーズ

LOVELOVE +はにゃうにゃ

来てくださった方々、企画のはにゃうにゃさん、共演者の皆さま、そしてスタッフさま、ありがとうございました!

共演のLOVE LOVE、虻蜂とらず、かっこよくて震えました!急にいきなりはにゃうにゃリミテッド参加で申し訳なくもありがたいし嬉しかったです。丸子もさせてもらえて嬉しかったです。今この時期に歌いたい歌でいきました。なんにもならないけどせめて。

一年ぶりの関西、直前までインコのれおなんのことがあり行けないかも知れずでしたが、数日前に急におじゃまさせていただくことになり、ばたばたとすみません。

そしてはにゃうにゃリミテッドは、はにゃうにゃさん、LOVELOVEのゆきちゃんとかずおさん、あと私、初の4人勢揃いでした!わたしの参加がめちゃくちゃ久しぶりでした。何年ぶりになるんかしら!

ホーリーあーのお二人に再会できたのも嬉しすぎました。最近YouTubeで聴いていてやっぱかっこいいなあと思っていたので!ぜひまた遊びたい!

◆ライブ日記外伝

今回の楽しみのひとつ、川崎に引っ越してからラーメンは家系、だったので天下一品が非常に恋しくてリハ前にこってり、食しました、うま。。!

ライブの夜は西成の動物園前激安ホテル、ちゃんと個室で快適 and 夜中のスパワールドソロ活動でライブの余韻とともに風呂に浸ってました。いろいろ懐かしきエリア!

快適なレトロ激安宿 この日の服がLOVELOVE柄♡

からの、翌日は桂川駅界隈巡礼(徘徊)して自分の残った念を回収。たった一年ぶりだけどいろいろ思い出し懐かしすぎて吐きそう。

晴天の中、JR大阪から桂川へ向かう車窓、視界が開けてきらきらしてて泣きそう~。

そして桂川駅周辺の開放感!こんなにだっけ。今まで気づかなかった。大勢の雀の声に導かれて懐かしの自衛隊基地横歩行者用道路を歩く。

前住んでたマンションまで行ったられおなんが元気に待ってるんじゃないかみたいな時空の歪みを感じたり。

さっと移動して新緑の鴨川は今年も変わらず綺麗。

友人と再会できてよかった!

そして帰路、神奈川へ

鳥日記 ~ れおなん10年間ありがとう

◆黄色いセキセイインコのれおなん10歳 

前回の日記では、れおなん頑張っています と書いたので、れおなんの生きている世界が継続しているかのようにそのままにしておきたいけど、10日以上経ちそろそろ区切りをつけないといけないなと思いました。

その日記の前から少しずつ、その時 を感じていました。

れおなんの、命のあるあいだに記しておこうと、あわてて書きました。

本当はもっと頑張ってほしい、元気になってほしいという願いも込めました。

そして、日記の翌日に星になりました。

いきざまを見せつけてくれました。

◆過程

吐き気が出たのが3月前半、すぐに鳥専門病院に行って薬を処方してもらい一旦治りました。気圧の変化による胃炎のようでした。

2週間後に予定していた診察の2、3日前から嘔吐、前日に血便、

そして診察日、年齢のこともあり早めに入院しましょうということで入院。翌日の面会では回復傾向。

そして2日後に容態急変。連れて帰って看取るか、入院で治療を続けるかの選択。急なことであきらめることができず、受け入れられず、一縷の希望にすがって入院をお願いしました。

そのあと、危ないと言われてから1ヶ月の間、本当によくがんばってくれました。一時退院は人間の方も本当に大変だったけど、それまで健康診断と予防以外では病院にかかったことのない手のかからない子だったので、ここぞとばかりに24時間徹底的に世話しました。レンタルした酸素室とヒーターでの保温、1時間おきの給餌。たまに頭をカキカキ。

入院中は週5日で面会に通いました。病院の先生にはたいへん細やかに治療していただき本当に感謝しています。

弱っていくのを見るのがつらかったけど会えるのは嬉しかった。

亡くなる当日にも今後の治療についての相談。そろそろ連れて帰らないといけないかなと思いながらも、やはり諦められず、、、数年前、うちの父親の看取り介護を承諾した母親はたいへんな決断だったなと思いながら。

一旦帰った後に電話がなり覚悟する。すぐに引き取りに行くことにして、準備して家を飛び出しました。

連れて帰ったその夜に手の中でそっと眠りました。

◆いきざまを見せつけてくれました。

小さい体ながらもぎりぎりまで生きようとする力を感じました。

家に連れて帰るまでは貧血のせいで足や嘴の色が白っぽかったのに、帰ってきてからはすごく血色がよくてピンク色だったのが不思議。それから、胃の出血による黒っぽい便になっていたのが、さいごの大きいフンは血の混ざっていないきれいな薄い緑でした。上向きな傾向さえ感じました。

体の力が徐々に弱まり動きづらそうな中でも、必死にご飯を食べようと器の上に行ったり、足が立たずぐったり横になり始めていたときにもまだ翼を思い切りばたつかせて羽ばたいたりすることもありました。

そして、少しずつじっとしている時間が長くなり、呼吸がゆっくりと静かになっていき、最後は境目がわからないほど穏やかでした。

◆年月

10歳、セキセイインコとしてはとても頑張った方だと思います。

この10年、あんなことこんなことあった間ずっと一緒にいたんだなと思い出しています。円盤からCD発売してレコ発をしていたころとか、父が亡くなったときや、フリーベースアコを始めたり、一緒にいた鳥たちが先になくなったり泣、籍を入れたり、それらの出来事がなんだか遠い昔みたいだけど、その頃かられおなんは毎日ずっと一緒にいたんだなと月日の長さと存在の大きさを感じています。

アコーディオンが好きな子でした。弾いているとよく乗ってきました。女王様のような気高さを持ちつつも愉快でおちゃめな女の子でした。

今まで一緒にいてくれてありがとう。

◆YouTube(れおなんとアコーディオン)

遥かなる旅(dq2)

勇者の挑戦(dq3)

リベレーション

追加(5/20) 不思議のほこら(dq4)

鳥日記 れおなん10才 闘病中

れおなん10才 黄色のセキセイインコが3月末急に体調を崩し、嘔吐 血便で入院しました。その後入院継続中です。気圧の変化による胃の不調が主な原因。 

訳あって一旦1週間ほど自宅療養となり、人間もへろへろになりながら24時間体制での給餌をしていたのですが、自宅に来て2日後に体重が減りまた血便が出たため、3日目に再び別の病院に入院、現在は元の病院に戻って入院中です。

がんばっています。天気が悪い日は著しく調子が悪そうですが。。

小鳥は気圧の変化、それから胃腸がとても弱い子が多いらしいですね。うちの緑の子も6月頃胃が原因で体調が悪くなり入院しました。今は元気です。

10才のおんなれおなん、ご長寿ちゃんです。がんばれー!

原將人監督 焼け跡クロニクル 観てきました。

横浜シネマリンにて『焼け跡クロニクル』観てきました。 

痛々しいお姿ながらも燃えた家の様子を美しく例える原將人監督、家が丸焼けになりどん底な状況の中でも日々こつこつと生きていかれるご家族、子供たちの明るさ、非常に印象に残りました。

焼け残ったフィルムの傷ついた映像はそのまんま、瞼を閉じるたびにふっと浮かんでくる懐かしく美しい記憶の断片で、まるで私の記憶ではないのかという錯覚にも陥り(んなわけない)じんときました。

あと京都ロスなわたしには、スクリーンに映るよく知った街の風景に胸が熱くなるものがありました。

配信情報 映画『歌ってみた恋してみた』

丸尾丸子の「ぐるぐるⅡ」という歌を挿入歌として使ってくださっている映画 『歌ってみた恋してみた』(2019)が、Amazonプライム・ビデオのプライム会員特典(見放題)の対象作品になったそうです。映画の中で主演の上埜すみれさんが歌ってくださっています。

西荻監督は高円寺円盤のライブ共演で知り合った、楽団タクマニアのうたたんです! 

歌ってみた恋してみたHP

http://www.utakoi.net

監督 西荻ミナミ

出演

上埜すみれ 大島薫

本村壮平 マメ山田 小林梓

2022日記 

毎年毎年次々といろいろなことが起こりますが、今年こそみなさまにとって穏やかで明るい年でありますように。

◇◆ 2021ふりかえり

◆ちょうどコロナの落ち着いたタイミングで、マルコスフェルナンデスさん、徳久ウィリアムさん、柿崎さんの企画にお呼びいただき、3回ライブ出演することができ、たいへん有り難かったです。アコーディオンと口琴の弾き歌い、徳久さんの企画ではベースの伊織くんと2人で演奏しました。倍音S尾引さん作の口琴ゲット!

次はああしたいこうしたいという思いもむくむく。歌をもうちょい!

そして去年は腑抜けてアコーディオンをひじょうにサボり気味になってしまったので、今年はぼやぼやしないで色々と動かなければ!ほかにも奔走中。尻に火が。

◆昨年前半は、ばたばたと入院手術、急な引越しなど予期せぬできごと続きで波瀾万丈でしたが、住む場所が変わりアイデンティティもかなり崩壊気味に~。笑

一年前の今頃はまだ自分が神奈川に引っ越すとは思ってなかったので不思議な感じです、ちょうど知ったくらい?

◆そしてうちのインコ1羽が体調を崩して2週間入院してしまいましたが、無事回復しほっとしました。わたしの入院費より高いです、が!背に腹は変えられぬ。専門の病院できめ細やかに治療していただき感謝でいっぱいでした。

黄色のれおなん10歳になりました!なかなかの高齢。無事退院の緑ぴっぴこは3歳
鳥のはら間接照明

◆後半はひたすら 壁 でした。壁作りに燃えました。

年末はさらに壁穴修理に奔走、

パテを塗り固めて削り壁紙を貼ったものの、剥がして削り直したり壁紙を変えて貼り直したりを繰り返し、壁紙貼り6回目でやっとOKサインがでました(自分の中で)。同じ色柄の壁紙合計20枚サンプル試し買いして最後に買ったもので手を打ちました。まだ少し違和感あるけど!

◆そして、コロナの落ち着いているときに東京、千葉のご友人たちとも遊べて嬉しかったです!!リフレッシュ!!そして、幻のような張りぼて生活に中身が入り始めました。

ちなみに、京都からきて違和感を感じたのが、日昇、日没時間の早さ。11、12月は夕方四時過ぎから薄暗くて憂鬱に、、。今いる家の西の方角に山があるのも少しだけ相乗効果で暗くなるのが早い〜です。たまに富士山の頭がちょろっと見えるのはわくわくポイントではありますが。

あとは硬水っぶりにびっくりでした。

つづく、、、もしくは次の段階へ

壁日記 4 その後 ~最終形態・白い壁

防音壁を自作しています…前回の壁日記では吸音材を貼り終えてまっ黒の壁になっていました。が、その後しばらくしてから、遮音シート&吸音材で覆う範囲を壁上部ハリの部分と角の柱部分まで拡げることにしました。防音性能をできるだけ高めるために。

ハリの部分

柱部分は白い吸音材で

①元 ②遮音シートを二重に貼り付け ③④吸音材貼り付け

マスキングテープ、両面テープ、タッカー、虫ピン等使いつつ設置。汗だくで。

次はいよいよ有孔ボード設置へ。板を貼るための2×4木材を建てるところは伊織氏に手伝ってもらいました。

そのあと有効ボードをネジ44本で地道に留めていきました。

カウンターにはめ込む部分やコンセント窓を、くり抜き用ノコギリでぎーこぎーこ切り、、(よく見ると曲がってる)

最後の一枚はめ込もうとしたら、、、やはりはまらないか〜。有孔ボード注文後に柱部分にも吸音材等追加することにしたので、壁サイズに合わせて注文していた有孔ボードが3、4cm程オーバーではまらない事態に。無理か〜。なのでこれまたノコギリ手切りでぎーこぎーこ。

そして 完成!

(鳥のとまり木の枝刺してます)

中高音域の防音は満足いく感じです。実際の壁からは有孔ボードの壁が14、5cmくらい前に迫り出しているので若干部屋が狭くなりますが、背に腹は代えられぬ…

鳥の遊び場 設置しました。(鳥はこれを待ってた!9歳の黄色ちゃんと、3歳の緑ちゃん。)

棚受け等、有孔ボードの穴にフックを刺すだけなので位置を自由に変えられるのが良いです

以上壁日記でした。

壁日記 3 〜 第1形態・黒い壁

防音壁の設置始まりました。

とりあえず試しに遮音シート一列。シートを切って両面テープで貼りました。壁の方はテープの当たる部分にマスキングテープを貼って保護、剥がれやすいのでタッカーがわりにホッチキスで壁に留めてみました。ホッチキスだと壁の穴も全く目立たなくて◎、が、刺しにくくて針が半分くらいパーになる…

おんなじように重ね貼りして遮音シート二重に。

その上から吸音材も貼っつけてみました。コンセント周りもちょうど良さそう◎

このやり方で範囲全体とりかかることに。遮音シートは壁上下半分サイズに切って貼ってます。現場感。

ちょっとゴムくさい… 上から吸音材を貼ったら少しましになりました。両面テープが途中なくなって買い足したりのんびり数日かかりましたが、第1形態・真っ黒い壁、完成。

かなり隣の音も軽減され、室内の無駄な反響も減って音が聴きやすくなりました。ここまで骨の折れる作業だったけど、ひとまずなんとか終わりほっとする…

しかし!翌日、ハリやサイドの柱みたいな出っ張ってるとこからも隣音が‥!?また落ち込む。

…ハリまで範囲を広げるか腹をくくるか。(ここまできたら!金と労力かけて広げることにしました。)

つづく

(鳥は入院中ですがそのお陰で徐々に回復しつつあります。胃に傷があったようです、危なかった。日々面会に通っています。がんばれ!)