投稿日: カテゴリー 日記

さようなら 懐メロくらぶ京都の会

■関西懐メロくらぶ
関西懐メロくらぶ 京都の会、今年40周年を迎えたこの会も、7月末の定例会でその幕を閉じました。

懐メロ、といっても、筋金入り

昭和35年以前の懐メロ限定です。ちなみに演歌は入らないのだそうです。(年代的に)
(そして演歌の唱法で懐メロを歌うのもちがうとのことです)

懐メロくらぶは、会員の方々が懐メロを歌う会
そのバックバンドでわたしは8年ほど、アコーディオンを担当していました。

1日多い時で80曲以上!少なくとも50曲!弾きっぱなしです。とてもハードではありますが、たくさんの懐メロを知る楽しみもあり、良い経験でした。

こちらのバンドのお仕事をいたたいたきっかけは、わたしが初めて京都でアコーディオンを習った藤田先生が元々バンマスをされていて、アコーディオンの後継として入らせていただいたことでした。

最初のころは、果てしなく続くかのような初見地獄と移調地獄にわたわた、そして、じゃばらを押し引きする左腕もくたくた、体全部がへろへろになっていたけれど、気づけばもう 8年、早いです。知っている歌も増えました、左腕が痛くなることもなくなっていました。

バンマスのギタリスト北出さん、キーボードの小谷さんには、たいへんお世話になりました。いっぱい迷惑もかけてしまいました、、汗

毎年三か月ごとに変わらず顔を合わせていたので、なんだかこれからも またしばらくしたら会うんじゃないか という気がしますが、もう会は終わってしまったということが残念で寂しいです。

ときどき会を録音して個人的に聴いて楽しんていたけれど、最後の会の録音を聴くと、切ないです。大事に取っておこうと思います。

ちなみにくらぶ創立オリジナルのメンバーさまはもうお一人しかおられないとのことでした。そしてたくさんの楽譜を書かれ、バンマスとして長年ご尽力された藤田先生も、残念ながらご逝去されました。

最後の会の合間に、会員さまのお一人が、

懐メロは詩がいい、昔の歌は詩人の詩が使われていることも多い、いい歌ばかりなので、ぜひ若い世代で歌いついでほしい、と言っておられました。

わたしもたまには大正時代の歌を歌ったりするけれど、ほかにも懐メロくらぶで歌われていた美しい歌、楽しい歌など、素敵な歌がまだまだ色々とたくさんあったので、またやりたいなと思いました

会の方々の中にはご高齢の方も多くいらっしゃいましたが、みなさんとてもお元気でした、歌い続けることで張り合いが出ると皆さんおっしゃっていました。

昭和30年代頃までの時代、大切な娯楽として、生活の中での楽しみとして、歌の度合いが大きく占めていて、歌の存在が 今では想像もつかないくらいとても大きかったんだろうなと思います。

皆さん 会が終わっても大切に歌い続けるんだろなと思います、

(そして世の中にはカラオケちゅー便利なものがある!笑)

関西懐メロくらぶ

大阪の会は、まだまだ活発にご活動されています。

会員さんもとてもたくさんいらっしゃるそうです。

関西懐メロくらぶの大阪の会のページ

http://17.pro.tok2.com/~mmt69/kankurabu.html

(会員募集されてます いかがでしょうか◎)

元々 大阪の会、京都の会は同じ会で、SP盤のコレクターの方々が、集めるだけではなく 自分たちで歌おう、生バンドで!と始められたのだそうです。

そしてしばらくすると人数が増えすぎたので大阪と京都に分かれたそうです。

1975年から続いているってすごいこと!

SP盤の懐メロ、ときどきYouTubeにアッブされてるものを聴きますが、音質は想像になりますが素敵です。

↑乙女十九

それでは 長いあいだありがとうございました  

関西懐メロくらぶ京都  

またあうひまで、、